1612(慶長17)年4月13日巌流島で宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘がありました。
この時武蔵28歳、小次郎は67歳だったという説があります。
のちに吉川英治の書いた「宮本武蔵」から、佐々木小次郎が長身の美青年というイメージになったようです。

この戦いのことを調べると、どんどんわからなくなります。
どっちが本当?という感じで、武蔵と小次郎の味方がそれぞれによく書いているんとちゃう?と思われる記述があります。
本当のことは本人のみぞ知るです。
武蔵は遅刻した、いやしていない、一人で行かずに弟子を連れて行ったとか書かれています。
一対一の約束だったはずじゃん、武蔵って卑怯者!?
武蔵の一撃で気絶していた小次郎を、武蔵の弟子達(4人)がやってしまった?

真実はわかりませんが、武蔵が勝って小次郎が負けたのは本当らしいです。
こんなに謎だらけのお話ならニュースにしなきゃよかったのにと言われそうです。
すみませんでした。

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